ボールドウィンの状況的発言と白人映画論(『悪魔が映画をつくった』と彼はいう)のダイジェストに、ドキュメンタリ映像を重ねた。
彼の発言が、抜粋された分、単調に平板になってしまったことは、残念ながら否定できない。
彼の怒りと哀しみは、いまだにわれわれの心をうつ。とはいえ、今日、彼の怒りと哀しみとが現実に有効だとはとても想えない。
やはり彼は、抗議文学の「最後のメッセンジャー」という位置にあった書き手だ。
彼の複雑繊細な人間像を知るには『ハーレム135丁目』が適切だった。較べて、この映画には、左翼ポピュリズムのアジテーションを、演説家には最も似合わない人物に託すことによって展開する無理が明瞭だった。
彼のスピーチが彼の小説の文体よりも雄弁ではないことは、誰の眼にも明らかだ。たしかに彼は「白人を憎め!」と叫んだかもしれないが、それは彼の内奥の声の、ほんの表層でしかなかった。
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