スパイク・リー『ドゥ・ザ・ライト・シング』89年製作
スパイク・リーの早くきすぎた代表作。
というよりブラックシネマ全般でのベスト作(客観評価での話だが)。
ふりかえってみれば、動きはすべて92年のロサンジェルス暴動に収斂していっている。
それを産みださざるをえなかった主観情勢はブラックカルチャーの断片というかたちで広く遍在していたのだ。
パブリック・エナミーより政治的にずっと穏健なリーが、穏健さゆえに、そうした断片の最も巧みなサンプリングを映像によって示すことができた。
(エナミーはリーの依頼で挿入曲 Fight the Power をつくった。)
映画が爆発の予兆だったというのはたんなる結果論。
多くの才能がブラック・レヴォルーションの一部に、ただ避けようもなく所属していたのだ。
リーを否定した者、乗り越えようとした者、そして他ならぬリー自身も、これ以上の作品をつくりえなかったわけだ。
ドゥ・ザ・ライト・シング。まともにやれよ。
黒人自身による黒人自身のためのブラックシネマ。スタッフも黒人、観客も黒人。それが全米メジャーの映画商業市場の一角を占めた。そして、日本にも輸入流通をはたしたのだった。
ここから十数年、じつに多くの黒人監督が輩出し、それ以上に多彩な俳優たちがスクリーンに現われてきた。
クロニクルをめくれば、第一ページにこの映画がある。